What I am.2

What I am.(人となり)から
久しく更新がないとの苦情も誰からもございませんが、
人間はどれだけ忍耐ができるものなのかを赤裸々に
綴っていくことが使命ではないかと感じるこの頃です。

くだらぬオヤジギャグも織り込みながら、
今ここから、パート2に進むことにいたします。

このところの状況を記すと、

「あなたの使命は、何ですか?」と真顔で誰かにたずねられると・・・、

「佐々木真悟です」と即座に答えるようにしています。

相手が、その氏名ではなくって・・・っと言うまで待っています。

こんな風に人間も図太くなってきました。

もう、48歳だと言うこともできれば、

まだ、48歳だと言うこともできます。

73歳の親父を見ていると、まだまだ、48歳だと感じるのです。

パート1の続きを知りたいあなたのために
ここから、どんなに自己中心的に生きていったのかを
かいつまんで報告することにしましょう。

猩紅熱(しょうこうねつ)の症状も治まって、
自宅に帰ると、翌日から待っていたのは
「楽しい、楽しい、学校でした。」(←大嘘です)

学校に行ったは良いが、
勉強はとっても進んでいまして・・・・・・・・、

社会科(地図の読み方)
↑これについては、触れない方が良いかもしれません。
実のところ現在でも地理は大の苦手です。

埼玉、茨城、横浜は、東京のどっちにあるの?

正解は、瞬時に答えることができません。

Googleマップで東京を検索してからでないと分かりません。

国語も知らない漢字がたくさん出ていました。

よって、
私の理解できる科目は、算数と理科のみでした。
と言いましても、理科(生物)は駄目で~す。

↑これは中学になっても続き、実力テストで、カエルの解剖図を見て
このカエルはオスかメスか答えなさい。

またその理由も答えなさい。

オス-精巣 または メス-卵巣 1/2の確率でも、駄目でした。

そのために理科は、中学の実力テストで学年で6番にしかなれなかった。(←単なる自慢です)

このような小学2年生ですから、学校に行くのが
大きらい~。

ついに始めたのが、何かにつけての登校拒否です。

今ではそれほど珍しくないかもしれない
小学生の登校拒否は、当時はとっても珍しかった。

今日は、頭が痛い、腹が痛い、などの
難癖をつけては、学校へ行くことを拒みました。

とても不思議なもので、頭が痛いと思えば頭が本当に痛くなるし、
腹が痛いと思えば腹が本当に痛くなる、自己暗示は具体的な
症状も発症させたのでした。

ですが、「学校に行ったら治る」と半強制的な両親の
強いススメに渋々学校に行きますが、ほとんど遅刻。

誰もいない下駄箱では、心寂しいものがありました。

しかし、

学校に行ったら行ったで、喧嘩をして帰ることが日課でした。

同級生よりも1年上のいじめっ子に喧嘩を売るような
チンピラか、渡世人か、とても変わった小学生でした。

それから小学3年生に進級し、担任は美しい音楽の先生へ

私も男性として、美しい女性教諭に注目されたいがために
より一層の注目度の高い「反抗」を教師に対してするのでした。

でも、彼女は経験の浅い新任教師であって、
生徒の(淡い恋愛感情による)行動心理も解らなかったために、
問題行動の本質を見抜くことができない。

結局、私の母は美しい担任教諭に呼び出され、
「問題行動に対して、何らかの手段を講じてください。
私には、彼の面倒がみきれません、制御できません。」
と言われたとか・・・。

でも、まだ小学3年生でしたので、とても早熟だったのでしょう。

母は、ある晩、私に選択を迫りました。

「必ず、どちらかを選びなさい」と・・・。

その究極の選択とは・・・、

「これからあなたに武道を学んでいただきます。
柔道か、剣道か、どちらがいいですか?」
というものでした。

私は、柔道はガニ股になることをイメージして
「剣道が良い」という選択をしたのでした。

小学3年生に対する、半強制的な選択でした。

私が連れて行かれた剣道場は、島根県松江市北堀町にある
「赤山道場」でした。

剣道を教える先生は、当時島根県で唯一の範士八段 古瀬 乗。

礼儀を重んじる、「喧嘩をしたら破門」という道場でした。

私にとって、破門の意味があまり分からなかったのですが、
その響きに恐怖を感じて、表面上は喧嘩をしなくなりました。

これこそ母の一計であったのです。

実際に道場に行ってみると、家の裏側の庭こそが練習する
道場でした。

細かい赤土(赤山)の庭で、毎週水曜日に通うこととなりました。

私は、一大決心として小学校3年生から6年生までは何があっても
剣道はやめないと、心に誓いました。

幼い頃からの喧嘩は、実際にやらないのですから
弱くなってしまいました。

喧嘩特有の勘が鈍ってしまったのです。

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