| 西暦 | 年齢 | 出 来 事 |
|---|---|---|
| 1964 | 0歳 | 松江市赤十字病院にて誕生する、足に佐々木と書かれていた。私より2日前に生まれた佐々木**を看護婦が間違えて授乳時間に母のもとへ連れていくが、母の指摘により是正される。 |
| 1965 | 1歳 | 誕生祝の手習いで、祖父と晩酌を始める。 |
| 1968 | 4歳 | 旧431号線横断中、普通自動車に轢かれる、4時間意識不明、右大腿骨(ダイタイコツ)骨折、全治6ヶ月、手術の時全身麻酔が効きにくいため大騒ぎ。(晩酌のアルコールのせいかも) |
| 1969 | 5歳 | 祖父の晩酌に付き合い、二日酔いにて幼稚園を休む。後にPTAにて議題として取上げられる。 |
| 1971 | 7歳 | 法定伝染病しょう紅熱にて、赤十字病院へ2ヶ月ほど入院する。 |
| 1973 | 9歳 | 同級生よりいじめにあっている1歳上の幼なじみをかばうことにより、自分自身が同級生の大半から相手にされないという(いじめ)に小学6年生まであう。 |
| 1977 | 13歳 | 幼なじみと自分と二人でクリスマスパーティを開き、コーク・ハイでサントリーレッドの大瓶を2/3程飲んでしまい、初めて酔いが足にくる経験をする。 |
| 1979 | 15歳 | ESS(英語研究会)に所属していたガールフレンドより教えてもらった末日聖徒イエスーキリスト教会にてバプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになる。戒律により酒を止める。 |
| 1986 | 22歳 | 山口県岩国市の建設会社に就職し、朝の6:30〜夜の10:00ぐらいまで真面目に働く。 |
| 1987 | 23歳 | 山口県岩国市の建設会社を退職し、父の建設会社を手伝いながら、末日聖徒イエスーキリスト教会の宣教師として働くために準備する。 |
| 1987 | 23歳 | 10月 父親の反対を振り切って、末日聖徒イエスーキリスト教会の宣教師として日本神戸伝道部に召される。兵庫県神戸市→京都府京都市→兵庫県豊岡市→沖縄県糸満市→大阪府茨木市へ転勤しながら2年間ボランティアで布教活動を行う。 |
| 1989 | 25歳 | 伝道から帰還する。 |
| 1990 | 25歳 | 1月結婚する。9月長女誕生。 |
| 1991 | 27歳 | 広島の商業施設のコンサルタント会社へ人事担当者として入社。朝の9:00〜夜の12:00ぐらいまで真面目に働く。 |
| 1994 | 29歳 | 広島の建設コンサルタント会社へ転職。朝の9:00〜翌朝の3:00ぐらいまで真面目に働く。 |
| 1994 | 30歳 | 5月次女誕生。 |
| 1996 | 32歳 | 父の建設会社へ土木施工管理者として再入社。 |
| 1999 | 35歳 | ギランバレー症候群発病、島根医科大学付属病院入院。 |
| 2000 | 36歳 | 協議離婚成立。 |
| 2001 | 37歳 | 8月現在の妻と再婚。 |
| 2002 | 38歳 | 10月長男誕生。 |
| 2005 | 41歳 | 本格的にM&Iコンサルタント業務開始。 |
| 2011 | 47歳 | 島根県教育委員会高校教育課からの要請でキャリア教育のモデル実践校である島根県立宍道高等学校のキャリア教育担当者(進路コーディネータ)を委嘱される。 |
| 2012 | 48歳 | 島根県教育委員会高校教育課からの要請でキャリア教育のモデル実践校である島根県立宍道高等学校のキャリア教育担当者(キャリアコーディネータ)を委嘱される。 |
| 2017 | 53歳 | 消費者に直接販売をしている(したい)企業経営者へ『イベント型営業』を伝授することで、事業を発展・成長させる。時代の波に乗って、企業を存続させることのできるシステム(仕掛けと仕組み)を提供し続けて、中小企業を活性化し日本を元気にする『イベント型営業』を普及する。これにより日本の中小企業を元気にすることができると信じて日々邁進。 |
| 2017 | 53歳 | 1月20日早朝脳梗塞を発症。島根大学医学部附属病院(出雲医大)に緊急入院、2月15日に出雲市民リハビリテーション病院に転院し、理学療法士と作業療法士によるリハビリテーションで身体機能の回復に努め4月21日に退院する。 |
| 2017 | 53歳 | 5月13日出雲市にて『究極の人間掌握術セミナー』をリハビリテーション関係者に開催する |
一言では言い表せないような経験を沢山していますが、いまだに生き続けています。(←しぶとい)
詳しくは、What I am.(人となり)にて・・・。
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